ボランティアを考える 

 

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(株)kikiwellキキウェルメンタルヘルスサービス
代表カウンセラーの菊本裕三です。

先に言っておくが、私はボランティアをやっている人を尊敬や憧れの目で見ている。
自分にはできない事だから・・・。
 
もちろんやってくれと言われたらできる事はやる。この震災でも多くのボランティアが出かけた。
私は現場に行って「足手まといになる」という結論で何もしないで帰ってきた。
私の娘がお世話になった方がいるので、その家族に会いに行ったのだが、家族全員無事でできるお手伝いはしてきた。それしかできなかった。
 
話は変わるが、被災された方の手紙のようなものを読んだ。
 
その方は震災で家を無くし兄弟をなくしたそうだ。避難所で生活をしているときの手紙らしいが、内容をざっと説明すると、
「・・・ボランティアの人が来て色々とやってくれる。それはありがたいのだが、悲しみのど真ん中にいるときにその数多くのボランティアの人たちにいちいち“ありがとうございます”と言うのが腹立たしくなって来る。俺は兄弟も家も無くしているのに、帰る所があるボランティアの人たちが少し憎くなって来た。中には雑なボランティアの人もいて、たとえばちゃんと並べてほしいのに、雑然と置いて帰ってしまう・・・。そんな人にも“ありがとうございます”を言わなければならない。そんなのが続くとお金払って文句言えたほうがよっぽどいいとさえ思ってしまう・・・。」
 
どうだろう。この人の気持ちもすごくよくわかるような気がする。
もちろんボランティアは必要だろう、だが、こんなふうに思う人も少なくないのかもしれない。
 
100%善意だからそれに対しての文句や注文はやはり言いづらいであろう。
テレビを見ているだけではこんな意見があることを知らないでいたと思う。
 
“善意”は薬のように、必要だけども、のみ方を間違えると毒にもなる。
 
私ぐらいの年齢の人なら知っていると思うが、昔大原麗子がお酒のコマーシャルをしていて、「少し愛して、ながーく愛して」と言うのがあったが、そんな感じで善意というものは出したほうがいいのかな。
 
難しいな・・・。きっと私が“善人”じゃないからだろうな・・・。
 
キキウェルメンタルヘルスサービス
菊本裕三

category: 菊本あれこれ

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